ワインを楽しむ際には、色、香り、味など
視覚、嗅覚、味覚を総動員して味わいます。
僕は特に味について音痴(味痴というべきか)で、
今ひとつ味を感じ取ることができません。
なんというか、物差しができてないという感覚ですね。
ただ、最近、
ようやく香りについては少し物差しができてきたように思います。
白ワインなら、青リンゴ、ナッツ、ロケット草、など。
赤ワインなら、腐葉土、薄荷、カシス、すみれなど。
まあ、一瞬わかる気がするだけなんですけどね。
こうした香りを、自分としては、
今まで過去の匂いの記憶と照合させようとしてみるのですが、
過去に記憶にストックがない場合にはいかんともなりません。
まあ、教えてもらって、なんとなく、
「ふ~ん、これが○○の香りね」
なんて、その時は思うのですが、匂いの記憶って、
すごく生々しく覚えていそうで、全然覚えられない。
おそらく、
何らかの情動がリンクすればたちまち覚えるのでしょうがね。
そこで、最近、僕は匂いを色に置き換えて感じるようにしています。
たとえば、青リンゴはもちろん、そのまま青リンゴの色ですが、
ナッツなら薄い褐色とか、ロケット草なら少し香ばしい緑色とか、
腐葉土の香りは僕にとっては青緑。
薄荷なら白っぽい色だし。
ま、ほとんどは元になる物質からの連想なんで、
共感覚がどう、なんて関係ないのかもしれませんが。
元の物質(の記憶)であれ、色であれ、
嗅覚や味覚というのは、ある種の方向性かなと感じています。
何本もの匂いのベクトルを持てるか、味のベクトルを持てるか、
これはその人個人にしか作れません。
多分、ソムリエさんなどは、
「このワインには、こういうベクトルの香りが何本も出ているよ」
ということを教えて下さっているのかなとも思います。
このことは、今はワインについてお話をしましたが、
日常生活の中にも実は沢山の感覚のベクトルがあるのではないか
と思うのです。聴覚にせよ、触覚にせよ。
視覚にももちろん見るべき方向性というのはあるのでしょう。
ただ、視覚は刺激が強いので、
なにかと色々な思惑に引っ張られがちです。
来院される患者さん一人ひとりの表情一つとっても、
本来は顔や姿勢、態度や声の調子などに、
色々な情報が発信されている様に思います。
いつも、というわけにはいきませんが、
時々患者さんが診察室に入って来られるだけで、
あ、「めまいの患者さんかな」とか、わかる時があります。
”情報のベクトルを感じる物差し”、
これをできるだけたくさん持てるようにしたいものです。
ま、偉そうなことを書きましたが、
何事も少しずつ経験を積み重ねていくしかありませんね。
一気に沢山のテイスティングをすると、
最後の方は酔ってしまいます。
先日のワインセミナーは
オールドワールド(フランスやイタリア)と、
ニューワールド(チリや南アフリカなど)の
ワインの飲み比べ、実に30種類でした。
一つひとつは少量でも、これはさすがに酔っ払いました。
最後の方は、全く記憶が飛んでいて、
どうやって家に帰ってきたか覚えてませんでした。
おーこわ。