またまたとび太くん探しです。
今回は大津市。
ここはピンポイントで明智光秀公のとび太くんに会いに、
7月31日夏真っ盛りの中、西教寺に行ってきました。
西教寺は聖徳太子が、
恩師である高麗の僧慧慈・慧聡のために創建されたと伝えられていて、
その後久しく荒廃していたのを、慈恵大師(じえだいし)良源上人が
復興、念仏の道場としたそうです。
この慈恵大師良源ですが、別名元三大師(がんざんだいし)と呼ばれ、
もともとは僕の実家、虎姫の出身なので、
全くゆかりがないわけでもありません。
元三大師のことは以前当ブログでも書きました。
>「元三大師疫神病除」の御牘(おふだ)
と、西教寺にちなんだ話を書きましたが、
西教寺にとび太くんがいるという情報を知るまで、
西教寺というお寺の存在自体を全く知りませんでした。
おまけに西教寺が明智光秀公のゆかりの地であることも。
ま、それはともかく、西教寺の門前に着きました。
参道を歩いていきます。
参道のわきの建物の屋根には鬼瓦とは別にサルが座っています。
これは西教寺に法難がふりかかった時に
猿が念仏の鉦を打ち身代わりになってお寺を護ったという話から、
この西教寺では護猿として尊び親しまれていることによるらしいです。
さて境内にやってきました。
夏の間、風鈴が飾り付けられています。
さてお目当ての明智光秀公のとび太くんです。
なぜか片足だけ草履ですね。
境内を歩いていると飛び出し坊やではありませんが、
豊臣秀吉のちょっと待った!がありました。
西教寺は明智光秀一族ゆかりのお寺なのに、
なんで豊臣秀吉が?
とも思ったのですが、
説明書きがあったのかもしれませんが見逃したのかよくわかりません。
あとでネットで調べてみると、どうも西教寺に、
重要文化財の「豊臣秀吉像 玄圃霊三等賛」というのがあるからかもしれません。
>京都博物館(過去の展示会)
さて、西教寺にお参りしたあと、堅田経由で帰ることにしました。
途中、浮御堂に寄ってみました。
家からそんな遠い場所ではないのですが、
中々来る機会がありませんでしたが、ようやく訪れることができました。
それにしても、この浮御堂の近くには、なんと!
0系ではないのですが飛び出し注意のお坊さんがたくさんいました。
手作り感満載ですがカワイイ飛び出し注意です。
この日は0系とび太くんは1体だけでしたが、
別バージョンの飛び出し坊やがたくさんゲットできました。