先日、仕事に出かけるときにエレベーターで幼稚園に通っている女の子と、
そのお母さんと一緒になりました。
お母さんは、ひとつかみの稲を持っていらっしゃいました。
今頃は稲刈りがそろそろ終わりかけの頃です。
郊外の田んぼの多いところで、稲の束を持っていらっしゃる方を見かけても
それほど不思議ではありませんが、
草津とはいえ、周囲に田んぼのないマンションのエレベーターで
稲を手に持っていらっしゃる姿は珍しく目に映りました。
おそらく幼稚園の催し事か何かで使われる稲だったんでしょうね。
先にはしっかり実の詰まった稲穂がありました。
拙ブログ、9/7でも書きましたが、
秋と言えば、幼少時の稲刈りの記憶がよみがえってきます。
僕の家は親父が勤めにでる傍ら、
家で食べる分にはなんとか困らない程度の農地を持った兼業農家でした。
僕が幼少時は1反ほどでしたが、田んぼも作っていました。
梅雨前の田植えや秋の稲刈りは、
小規模ながらも自分のところでやっていました。
というか、高価ゆえコンバイン(自動の機械)などは買えず、
あるいは、買ってもペイできないことはわかっていましたので、
自分たちで、手で苗を植えて、稲を刈り取っていました。
僕も物心ついた時には、気がついたら、田畑の家族の手助け要員でした。
田植えの方がちょっと難しかったのか、
田植えを手伝った記憶は数回しかないのですが、
稲刈りはよく手伝いました。
腰を落として、左手で稲の束をつかみ、自分の小指の5~10cmほど下を、
ノコギリ鎌で刈っていきます。
このときの、「ザッ、ザッ、ザッ」という小気味いい音をが、
懐かしく耳によみがえってきました。
1回の鎌さばきで、
だいたい4束ほどを片手でつかんで刈り取り、
それを自分の後方に置きます。
また4,5束ずつ刈り取ると、
今度は根元から20cmほどの所で、
少しだけ互い違いになるように交差して
その束を積み重ねていきます。
そして、束の塊が自分の腕で抱える程度になったら、この塊を持ち上げて、
下にひいておいた藁でくくって立てていきます。
そうすると稲穂の束が放射線状に開いて田んぼに立ちます。
これで、しばらく乾かしておくわけです。
刈り取りながら、前方に約10行程度(2Mくらい)進んでいくたびに、
一抱えの稲補のついた藁束ができあがっていきます。
稲刈りを始める前に前方を見ると
何10Mも遙か先まで刈り取らなければならない
稲の絨毯のノルマが目の前に広がっています。
あー、これを全部刈らなければいけないのか・・・
と、最初は絶望的な思いになるのですが、
「ザッ、ザッ、ザッ」という音を聴きながら
一心不乱に稲を刈っていると、
妙に心が落ち着いてきます。
しばらく、前も後ろも見ないようにして、
作業をすすめていきます。
腰がようよう痛くなってきたら、
腰をのばしながら前を見て、
ノルマが減ったのを見て喜びます。
後ろを振り向いて、
稲の束が立ち並ぶのをみて満足します。
ある程度稲刈りが終わったら、
いくつか並んだ木に横棒を渡してくくりつけ、
そこに刈り取った稲の束を下向きに干ます。
こうして稲の束でできた壁のようなものができあがります。
この行程は、その後現場で脱穀するようになり省略されましたが、
秋らしい風景として記憶に残っています。
こうした作業は、刈り取る時は腰をかがめて行いますし、
稲の束も結構な重さがあり、中々腰が痛くなりました。
おかげさまで、現在あまり大した腰痛もなく過ごせているのは、
ひょっとしたら、幼い頃に稲刈りを手伝っていたおかげで、
腰が鍛えられているからかもしれません。
こうした、秋の風物詩も、機械の導入で徐々に減っていきました。
さすがに重労働なのもあってか、うちの家でも、
田んぼの作業は専門の農家にお願いすることになり、
自分ところでの稲刈りはしなくなりました。
いつ頃まで、家で稲刈りをしていたかなと、ふと考えてみました。
中学生の時に、僕は卓球部に入っていたので、
稲刈りの途中で腰が痛くなってのびをした時などに、
鎌をペンホルダーのラケットにみたてて素振りをしていたことを
ふと思い出しました。
だから、少なくとも中学2年くらいまでは家で稲刈りをしていたと思います。
今となっては昔のいい記憶です。
この季節になると、藁と田んぼの泥の臭いが懐かしくなります。
それと、前にブログで書いたように、その時の長十郎梨の味覚も思い出します。
また、僕たちが稲刈りしているのをよそに、
赤とんぼがフワリフワリと周囲を泳いでいるのも、秋の記憶です。。