耳を澄ますということ

昨日、熱帯雨林で聴くことのできるような、
26KHzを超えるような人間の耳では本来聞こえない超高周波の音を、
聴く(というより身体に浴びる)ことが、
脳を活性化させるという話を書きました。

何の科学的根拠を僕が持っているわけではありませんが、
それは本当ではないかと直感的に思います。

しかし、実際には熱帯雨林にまで出かけることもできず、
仮に出かけられたとしても、その時に音を感じることができても、
日本の現代社会に戻ってきてしまえば再び同じ生活が待っています。

最もいいのは、ハイパーソニックエフェクトの期待できる音源を、
効果の期待できるシステムで浴びるように聴くのがいいのでしょう。
(最近は、ハイレゾの上を行く、
ハイパーハイレゾサウンドなるものもあるらしい)

しかし、音源もまだまだ少ないし、何よりシステムの構築には、
お金もかかるだろうし、聴く場所の確保も大変です。
そのあたりは、将来的に、
ソフトもハードもいいものがでてくるのを期待しましょう。

ただ、それ以外にも今でも脳にいいことを
聴覚を通してすることができるのではないかと考えます。

それは自分の耳を鍛えることです。
もちろん、「耳を鍛える」と申しましたが、
正確には、耳を通して脳を鍛えるということです。

「聴く・聞く」という動作は、耳でしていると思われますが、
実は耳はマイクロフォンなだけで、実際に聴いているのは「脳」なんです。

もちろん、耳(外耳・中耳・内耳)を健康に保ち、
聴力を落とさないようにすることは大切です。
しかし、さらに大切なことは、脳での聞き取る能力を落とさないことです。

音は24時間私たちの頭の中に入ってきています。
寝ている時にもです。
しかし、実際に音を聞いているのは、
いつもと違う音がしたと脳が認識した時と、
聴こうと意識を集中した時のみです。

脳は身体の中で最もエネルギーを使う器官の一つと言われています。
そのため、できるだけ省エネしようとして、すぐに怠けたがります。

「ちょっと!私の話聴いてる?」
という嫁さんのダメだしは、うちの家では茶飯事のことですが、
このように、聴いてるつもりが、
「ああ、いつもと同じだ」と脳が感じていると、
聴いているはずが、少しも頭に残っていない状態となり、
嫁さんを怒らせてしまうという失態をさらすことになるわけです。

ついでに言うと、脳は見ることについても怠けようとします。
またまた、うちの嫁さんの話で恐縮ですが、
嫁さんが髪を切ってきた時でも、
「おっ、髪切ったんだね!」
といった気の利いたことを言えるといいのですが、
やっぱり、見ている様で全然見ていないらしく、
その日の朝に、「今日は髪を切りに行くわ」と行っていたにもかかわらず、
僕は帰宅した時にそれとは気づかず、またまた嫁さんを怒らせてしまう、
ということが今までに何回となくありました。
あーあ。

話が脱線しましたが、「耳を鍛える」というのは、
いかにして脳を怠けさせないで
「注意深く音を聴く」
ということでもあります。

一般的な聴力というのは、内耳の有毛細胞の能力でしかありませんが、
聞き取る能力というのは脳の能力です。
外国語を習い始めた頃は、聴いても全くわかりませんが、
何度も繰り返し聴いていると、わかるようになる(らしい)というのは、
脳での聞き取る能力がアップするからです。
「らしい」と書いたのは、僕個人について言えば、
すごく聞き取れるようになったという実感がないためです。
(まあ、浴びるように聴くという練習をしていないせいなんですけど。)

ま、僕の不勉強は置いといて、
「耳を鍛える」ことは、やっておいて損はありません。
老年性難聴が進んできた場合でも、脳が錆びずにいて、
聞き取る能力が高ければなんとか補うことができます。
(もちろん、進行しないように予防することが大切ですし、
ある程度進行してきたら、補聴器をした方がよいと思います。)

今、まさに書きましたが、脳を錆び付かせないためにも、
耳を鍛えることは大切になってきます。

高齢者社会を迎え、認知症の予防が必要な時代がきました。
難聴は、コミュニケーション能力を低下させ、
社会から置いて行かれやすくなるため、
認知症の発症にも深く関わっているものと思われます。

そのためには、ただ単に聴力を維持するというだけでなく、
脳の能力を高く保つことも大切です。
そのためには、「意識して聴く=耳を澄ます」ということも大切だと考えます。

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