先日、”映画を観ていたら、急にその1シーンを直前に思い出した”
という話をしました。
実は先日も同じことがありました。
今回も、どこにも行かないので
家で撮りためていた映画を観ていた時でした。
今回の映画は、『天地創造』:
1966年 アメリカ映画
旧約聖書・創世記をもとに
1章「天地創造」から22章「イサクの燔祭」までの中から
主要なエピソードをジョン・ヒューストン監督指揮で撮影。
神が天地をお作りになったところから始まり、
人間(アダムとイブ)を作成。
その後、知恵の木の果実を食べたために楽園追放。
アダムとイブの子ども、カインとアベルの話。
さらに、ノアの箱船、バベルの塔、ソドムとゴモラの街とつづき、
最後に、イサクの燔祭(はんさい)で映画は終わります。
この映画、最初の方ももちろんそうですが、
初めて見た映画だと思って
ノアの箱船のシーンを見ても、
「うわー、すごいね。まだCGとかなかった時代に、
動物たちをうまく船に乗せるのは大変だっただろうね」
なんて、言いながら見ていました。
バベルの塔にしても、
映画のセットとしてどこまで本当に作ったのかなとか、
ブリューゲルの『バベルの塔』とくらべるとちょっと細いねとか、
そんなことを思いながら見ていました。
やはり観た覚えがありません。
ところが、映画がソドムとゴモラのシーンに入ってきた時でした。
”ソドムとゴモラ”って、確か、
堕落して頽廃した人間を神様が焼き尽くす話だったよなぁ・・・
そう思った瞬間、ある映画のシーンが頭の中に蘇ってきました。
神様の使者が頽廃した街を見て回るのですが、
その時にまぶたに目を描いていて、
目をつぶっても目が出てくる人間や、
やっぱり目を手のひらに描いておいて、
手のひらをグッパーすると手のひらの目が閉じたり開いたりする、
何かそんな変な怪しげなペイントをしている人間たちが
出てくるシーンなのです。
実はこのシーンも、普段たまーに、
僕の脳裏を掠めることがあった場面だったのです。
テレビで見たことだけは覚えていたのですが、
どういう場面でそれが出てきたのか全く覚えていなかったのでした。
使者が街にやって来た時に急にこのシーンを思い出しました。
あれっ?ひょっとしてこのあとに、こんな場面が・・・
先ほどの描写を嫁さんに話しながら画面を見ていると、
まさにその通りのシーンが流れました。
あー、これだったんだね。
あら、また前に見たことがあったのね。
嫁さんが言います。
でも、他のシーンは全く覚えがないのです。
ひょっとしたら、深夜にテレビをつけたら
たまたまこのシーンをやっていて強烈なインパクトが
残っていたのかもしれません。
それにしても、西洋の神様は厳しいですね。
最後の場面、アブラハムに最愛の息子イサクを
生け贄として差し出せと命じるシーンなんてあまりにも酷です。
僕にはできません。
いやぁ~、映画って本当にいいもんですね。
それでは、また別の機会にお会いしましょう。