最近、ちょっとブログの更新が滞っています。
書きたいことはたくさんあるのですが、
何かまとまらなかったり、
次々と他のことに目が行ってしまって
一つのことをゆっくり考えられずにいます。
そこで、昔他のブログを書いていたときの記事を持ってきました。
すでに当院のブログで触れたと思っていたのですが、
検索しても出てこないところをみると、まだだった様です。
以下、引用:
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『神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡』 ジュリアン・ジェインズ著 柴田裕之訳 紀伊国屋書店
我々は普通に物事を考え、普通に出来事を判断し自分のことを考える。
「意識」というのは、ものごころついた頃から
ずっと親しんでいる状態である。
しかし、この自己を「意識」するという行為が、
実はせいぜい3000年前から始まった比較的新しい行為で、
それ以前の人間は右脳に由来する神の声に黙々と従っていた
・・・なんてことをにわかに信じられるだろうか。
つまり、筆者によれば、
約3000年前に脳のOSがアップグレードしたというのだ。
人間は、「意識する」という行為と引き換えに、
神からの声(右脳の命じる声)を聞くことができなくなった。
その結果、人間は、「不安」や「恐怖」というものを「意識」し始める。
この不安や恐怖を打ち消すものが、宗教であり、占いであると。
さらに言えば、「科学」でさえも、
神々の声を聞くことができなくなった人間が
拠り所にせざるをおえなくなった結果として
発展してきたものなのだと。
この「意識」という行為は、言語の発達とも密接なかかわりがある。
つまり、人類は言葉というものを創造したことで、
「意識」というものまで作りだしたのだ。
その結果、人類は「不安」や「恐怖」まで背負うことになる。
ちょうど、旧約聖書で、
アダムとイブが知恵の実を食べてしまったことで、
楽園を追われることになるのと同じだ。
かねてから僕は、古代文明において、
巨大遺跡などが作られる過程で、
どうして人間は大きな反乱もなく
そうした遺跡を作ることができたのだろうかと思っていた。
もちろん、当時の権力が強大で
従わざる負えなかったであろうことは理解できるが、
それでも、多くの文明で類似の巨大文明が
何百年にわたって維持できるものであろうかと思っていた。
しかし、もし、昔の人類が自己という意識をもたずに、
黙々と右脳からの神の声に対して「言うことを聞く(=従う)」のが
普通であったなら、
そんな大事業はいとも簡単に成し遂げられるにちがいない。
僕はこの仮説を読んで、何となく一人腑に落ちた感じがした。
我々人類は、
何となく進化の最後のバージョンのような気がしているが、
脳はまだまだOSをアップグレードさせるかもしれない。
では、もし、今よりバージョンアップするとしたら、
どのようにバージョンアップをするのだろうか?
僕の考えでは、
おそらく物事を多角的にとらえる力や俯瞰する力が
格段にアップするのではないかと思う。うまくいけば、
いろいろな複雑な因果関係も瞬時に見破るような力を
得るかもしれない。
しかし、逆に、脳はダウングレードされることだってあるかもしれない。
アップグレードしたが、結局それが役に立たなかったと
自然淘汰の力(神)が判断したら、
躊躇なく人類の脳をダウングレードさせるだろう。
あるいは、人類が自分で物事を考えたり、
自分の判断で行動をすることをやめてしまうことになれば、
必然的に脳はダウングレードされ、
多くの人間は黙々と「言うことを聞く」だけの存在に
戻っていくに違いない。その方が楽だからだ。
ひょっとすると、あと数百年したら、
アップグレードした脳を持った人類が、
ダウングレードされた脳をもつ人類を支配している世界が
広がっているかもしれない。
そう考えると、ちょうど現代は分岐点かもしれない。
我々は後には戻れないし、戻ってはいけないと思う。
神々が沈黙した現代では、自分の頭で考え、
自分の行動に責任をもち、
そのことで生じる「不安」や「恐怖」に対して
毅然と立ち向かう必要がある。
また、そうした行動規範を子孫に伝えていくことが大切だと思う。
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以上、引用終わり。
7年前に読んで記事にしたのですが、
自分で考えることの重要性や、心のよりどころをどこに置くか、
と言った問題は、近年ますます重要になってきている様に思います。
そのうちに、自分が選ぶ本100冊みたいな企画をしてみたいな
と思っているのですが、
この本は、その中でもかなり上位にくる本の一つです。
もし機会があれば読んでみて下さい。