現在佐川美術館では、前回までお話しました歌川広重展の他に、
特別企画展として、「山下清の東海道五十三次」も行われています。
こちらも含めて入場券1,000円は安いと思います。
山下清さんについては、
テレビで何度か「裸の大将」というドラマの宣伝で
俳優さんがやっているのを見かけたくらいで、
リュックサックを背負っていて、話し方が変わっている、
それくらいのことしか知りませんでした。
(実際にそのテレビドラマは見ていません)
Wikipediaをちょっと見てみると、幼少期の病気の後遺症で
軽い言語障害と知的障害があったそうなんですが、
作り出した作品は賞賛され、
アウトサイダー・アートとかアール・ブリュットと呼ばれる
活動の広がりのきっかけにもなった様です。
展示されている五十三次は、
晩年制作されていたものなのだそうですが、
高血圧で眼底出血を患い、さらに2年後亡くなられたために、
誰もが未完に終わったと思われていたところ、
アトリエの押入から療養中に制作された残りが見つかり、
完成されたものとして世に出てきたそうなんです。
どの作品も素敵なのですが、
それ以上に凄いなと思ったのが、絵に付けられた言葉。
たとえば、「川崎 川崎大師(No.3)」を図録から引用:
”川崎のお大師様にどうしてたくさんの人がおまいりに来るかというと おまいりに来るといいことがあるという人が多いからだな ぼくは放浪のとき 成田山のお守りをよその人に貰って それをつけて鉄道線路を歩いたら汽車にひかれなかったな それをどっかへなくしてから鉄道線路をあるいたら やっぱり汽車にひかれなかったな お守りのききめはわからないな ここで一番とくをしているのは ただでえさをもらっているハトだな”
「掛川 小さな城(No.27)」では
”むかしお城に住んでいたさむらいの大将は 軍隊の大将とちがって 部下をたくさんもってる人もすこししかもっていない人もいたんだな 掛川の城は小さいので 部下もすくないし あまりえらくない大将が住んでいたのかと思ったら 山内さんというあとで高知の城の大将になった人が 生まれてはじめて住んだ城がこれなんだな おかあさんはいたのかな いたら一番喜んだのは おかあさんかな 奥さんがいたとしたら どっちだろう”
「庄野 ふつうの景色(No.46)」では、
”ほんとの絵かきというのは ふつうの景色でもちゃんと絵にできる人のことかな そんならぼくは絵かきではないな やっぱり ふつうの景色はふつうにしか描けないな この景色は 絵になるかどうか わからないな”
と、何とも興味深い。
僕も趣味で写真を撮ったりするけど、
中々いい写真って撮れません。
まあ、”いい写真”というのがどんな写真か、
そこが最も大事なところなんでしょうけど、
その話は今は置いておくとして・・・
やっぱり被写体がいいといい写真が撮れやすい、
そんな様な気がします。
ただ、「わぁ~綺麗!」と言って写真を撮っても、
同じような写真をプロが撮るとの比べると
圧倒的な違いがあります。
あるいは、何気ない景色、普段気にしていない様な風景の中から、
ある瞬間、ある部分をうまく撮ったな、という写真を見かけます。
それは一つの”いい写真”ではないかと思います。
そんなことを山下清さんの「庄野」のコメントを読んで思いました。
それにしても、こうしたコメント、
一つ一つ、何かものの核心に迫るようなものを感じます。