睡眠・認知症予防シンポジウム5

引き続き、本川達夫先生の特別講演「ゾウの時間、ネズミの時間」

次は社会生活のおける「時間」について考えてみる。
社会生活においてもエネルギーを使えば時間は早くなる。
現代人はいろいろな「便利」なモノに囲まれている。
便利なモノを使えば早くできる。
エネルギーを使って機械を使えば時間を早めることができる。
20世紀前半を代表する機械と言えば「車」。
後半を代表するものは「コンピューター」。
車にせよコンピューターにせよ、
エネルギー消費量が増えれば時間は早くなる。

現代はビジネスの時代。
ビジネスはビジー+ネスなので忙しいもの。
エネルギーをつぎ込めば同じ時間でも、
多くのモノが作れる、多くの情報が集まる。それがお金になる。
逆に消費というのは時間をお金で買うことでもある。
買ったお金で余暇を楽しむ。
現代はエネルギーと時間とお金が密接に関わっている。
現代は時間を操作していると思われる。

現代人は、食べる時に得られるエネルギー、すなわち
縄文人が消費していたと思われるエネルギーの
30倍のエネルギーを使っている。
だから、現代人の時間は縄文人に比べ30倍速くなっている。

しかし、生物学的な時間の流れは縄文時代と変わっていない。
心臓の拍動の時間などはほとんど同じである。
社会生活の時間に身体の時間が追いつかない。
この大きなギャップがストレスになっている。
働き方改革と言うが働かざるおえない状況に追い込まれている。

現代人というのはエネルギーを使って時間を生み出している。
時間の生み出し方には2つある。
1つは、便利な機械を用いることで自由時間をつくっている
もう1つは不活発な時間をエネルギーを使って
活動的な時間・使える時間に変換して使っている。

たとえば夜:寝るだけだった時間を照明を使って活発な時間にしている。
たとえば夏や冬:ぐだーとしていた時間を冷暖房で改善。
そして最も大きなものが寿命:
大きなエネルギーを用いて死ぬまでの時間を延ばして
活動的な時間を作ってきた。
医薬品、衛生状態、食料事情(冷蔵冷凍で塩辛い保存食も不要)など
すべてエネルギーを用いて、
寿命を伸ばすことで、本来死よりあとの不活発な時間を
活発な利用できる時間に変換してきた。

しかし、不活発な時間というのは無意味なものなのだろうか?
睡眠も死の時間も無意味なものではない。
生物は伊勢神宮方式で持続させているとはいったが、
それは世代交代についてのことであって、
個体としては、日々修復させて維持する必要があり、
法隆寺方式で行っている。
そのためには睡眠は必要な時間である。
たくさんエネルギーを必要とする時ほど、眠りが必要。
不活発だと思われている時間は、実は必要な時間。
時間の質が違う。

生物はそれぞれがそれぞれの意味の違う時間の中で生きている。

歳をとってからの人生は、生物学的にはおまけの人生。
若いときは社会に合わせなければいけない場合もあるが、
それが終わったら、若いときとは違った
自分の価値観での時間の使い方をすべき。

昨年の厚労省の統計:
日本人の5人に1人が自殺したいと思ったことがあると。
そんな社会はまともな社会ではない。
「生きていることは生きていないことよりも善い」が大前提。
これが身に染みついていないといけない社会でないといけない。
それには身体が基本である。
自分の身体に基づいた世界観・人生観をもたなければいけない。

時間が速いのがよいのだろうか?
速い時間というのは身体の時間と相性が悪い。だからストレス。
速い時間というのはじっくりと味わえる時間が持てない。
消化して自分のものにするのには一定の時間が必要。
情報にアップアップしているのが現代人。
速い時間だと平静を保てない。
アダムスミス「幸福は平静の享受にある。平静なしには幸福はありえない」。

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以上、講演メモおわり。