20数ページほど読んだところでしょうか、
それまで重要なことに気がつかずに
この本を読んでいたことに気がつきました。
実はこの本の著者、三宮麻由子さんは、
幼くして視力を失った方だったのでした。
そんな重要なことに気づかなかったのは、
筆者の文章からは、
目が見えないことが少しも感じられなかったからでした。
まあ、このエッセイは文藝春秋の一つの企画として、
「音」をテーマに著者がいろいろな所に出かけていき、
人との出会い、音との出会いを書いたものですから、
同行された編集者の方のサポートもあったとは思います。
しかしそれでも、目が見えなくても、
こんな素敵な文章が書けるのかとびっくりしました。
というか、目に見えない分、
肌で感じたこと、耳にしたことは、
健聴者よりも敏感に感じていらっしゃるゆえ、
より臨場感のあふれる文章になるのかもしれません。
そんな「音」にまつわる13のレポート。
その中から僕のアンテナに響いた話を2つあげてみます。
「時報のお姉さんに会いに」
117に電話するとその時の時刻を読み上げてくれます。
「只今から、○時○分○秒をお知らせします」
というあの女性の声。
そういえば実在の女性だと
いつかテレビでやってた様な気もするのですが、
そのこともすっかり忘れてしまっていて、
なんとなく合成音声だと思っていましたが、
実は中村さんという実在の人。
その時報のお姉さん、ナレーションのプロ中のプロで、
ナレーターの研鑽のための教室まで開いていらっしゃるとか。
その中村さんへのインタビュー。
>「たとえ機械に使うメッセージでも、私は一人の人に語りかけるように話すんです。ほら、もうすぐ二時三十分十秒ですよ、ってね」
(中略)ナレーションは、はっきりわかりやすく、人間味を忘れずに、といった技術的な心構えはたくさん聞いてきた。しかし、そのナレーションにこれほど心を込めておられる中村さんの精神には脱帽である。(p.35-36)
最近はいろいろなところで、合成音声が用いられています。
そのうちアナウンサーやナレーターの仕事の何割かは
合成音声に取って代わるのではないかと思われます。
しかし、このちょっとした語りかけの部分に、
心がこもっているかどうかというのは、
聞く人の人間存在として何かあった様な場合、
・・・たとえば、社会からの疎外感を感じていたり、
世の中に絶望していたりしていて、
いたたまれず街中をさまよい歩いている時など・・・
ちょっと極端ですが、
そんな最後の最後のところで
ふとした街中の声が効いてくる、
そんな様なことがあるのではないかと思うのです。
「夜空の響き」
筆者が長岡の大花火大会を取材した時の話。
著者は目が見えていた頃でも
打ち上げ花火を見たことがなかったそうです。
同行した著者の担当編集者が、最初のうちは、
打ち上げられた花火の色や形を
説明しようとされたそうですがとても追いつかない。
そのうちに、花火の打ち上げられる音、
爆発する音、周囲の観客の歓声、
そうしたものを細かく聞くことで
著者は花火を鑑賞しておられました。
すると、同行の編集者が自分も目をつぶって、
花火を感じることを試みたのだそうです。
それまでにも、何度も花火を鑑賞したことがあったが、
光の美しさを何とか著者に伝えようとしてくれた人はいても、
著者の感覚にあわせて、
花火の一番大事な要素である光をあっさり諦めて、
本当に目をつぶってくれた人は
一人もいなかったのだそうです。
確かに僕が担当者だったとしても、
言葉で花火の美しさを伝えようとすることはしても、
目をつぶって鑑賞してみようとは思わなかったでしょう。
さらに言えば、
打ち上げ花火を目をつぶって鑑賞するなんて、
思ってもみません。だってもったいないじゃないですか。
でも、これって、
本当に間近なところで打ち上げられている花火なら、
一度やってみたいですね。
音だけで花火を味わう。
そういえば、昔、テレビで、漫才師の笑い飯の哲夫さんが、
花火についてものすごく詳しくて、
花火の打ち上がる音だけで、
花火の種類を当てられていたのを見たことがあります。
音に注目ならぬ注耳する花火の楽しみ方もあるのですね。
ここで著者の三宮さんは、面白いことを試みます。
両耳を塞いで花火を聞いてみたのです。
>衝撃波と音波が合わさった破裂音から音波を引いて見たのである。すると、衝撃波が五臓六腑をマッサージするような感覚が全身を包んだ。聴覚をもたない方々は、こんなふうに花火を感じながら、光をみつめておられるのだろうか。(P.91)
これまたすごいことです。
頼りの聴覚を遮断して、皮膚感覚だけで
花火を鑑賞するのですから。
僕は音拾いを趣味にしていますが、
それでも普段録音するとき、
その場の風景を見ながら録音しています。
でも、これって、
まだまだ頭で考えながらやっているのかもしれません。
もっと聴覚や、さらには皮膚感覚をも研ぎ澄まして、
あるいは嗅覚や味覚も利用できそうなら利用して、
身体で感じてみるのも大事かもしれませんね。