本:ライフ ヒーリング3 

前回の話は、にわかには信じがたい話です。

この論理でいくと、
鼻水の人は助けを求めている、心の中で泣いているとあります。
とすれば、春先の花粉症の時期は大勢の人が泣いていることになります。
・・・まあ、結膜炎で確かに泣いてはいますが。

僕も年に1回くらいは喉を痛めて声が出なくなることがありますが、
あれは何か言いたいことが言えない時なのでしょうか?
自分では考えもしなかったことですが、
今度声がでなくなったらよーく考えてみようと思います。

でも、心因性の失声症というのは確かにあります。
あれなんかは当てはまるかもしれません。

この本には耳鳴りの人は頑固、とも書いてありました。
耳鳴りの人全員が頑固だとは思いませんが、
そう考えると、確かに考え方に融通が利かない人は、
多少多いような気もします。

耳鳴りのメカニズムを説明して、
耳鳴りに対する心構えをお話して、
生活習慣についてもお話しても、
何となく顔には
「そんなことはいいから、耳鳴りに効く薬をくれ!」
と書いてある人もいます。

耳鳴りに補聴器がいいですよとお話しても、
それはイヤ!という人も結構います。

だからこそ、耳鳴りには認知行動療法が効くわけなんですが。

何かちょっとグチっぽくなってしまいました。
話を変えましょう。

この本、結構、ホントかなということも書いてあります。
ですので、一応今回の一連の記事は
スピリチュアル耳鼻咽喉科のタグを振っています。

ただ、人によってはそういうこともあるかも、
と思わせる記載もあります。
特に、日本語の「からだ言葉」と似た表現のものというのは、
時には考えてみるのもいいかもと思いました。
たとえば・・・

「耳が痛い」という表現があります。
これは実際に耳が痛いという意味以外に、慣用句では、
「指摘されたことが当たっていて聞くのがつらい」
みたいな意味もあります。
診察していろいろ検査しても異常が見つからない場合、
(うまく検査にひかからないという場合もありますが)
慣用句的なココロの状況が身体に表現されている
という場合があるのかもしれません。

「忙しいと目がまわる」という慣用句もあります。
これは相当に相関関係が強いと思います。
これはめまいを経験したことのある人の中には、
結構賛同してもらえる人も多いのではないかと思います。

このあたりの話は、エントリーを変えて、
また別の機会にお話してみようかと思います。