前回の話は、にわかには信じがたい話です。
この論理でいくと、
鼻水の人は助けを求めている、心の中で泣いているとあります。
とすれば、春先の花粉症の時期は大勢の人が泣いていることになります。
・・・まあ、結膜炎で確かに泣いてはいますが。
僕も年に1回くらいは喉を痛めて声が出なくなることがありますが、
あれは何か言いたいことが言えない時なのでしょうか?
自分では考えもしなかったことですが、
今度声がでなくなったらよーく考えてみようと思います。
でも、心因性の失声症というのは確かにあります。
あれなんかは当てはまるかもしれません。
この本には耳鳴りの人は頑固、とも書いてありました。
耳鳴りの人全員が頑固だとは思いませんが、
そう考えると、確かに考え方に融通が利かない人は、
多少多いような気もします。
耳鳴りのメカニズムを説明して、
耳鳴りに対する心構えをお話して、
生活習慣についてもお話しても、
何となく顔には
「そんなことはいいから、耳鳴りに効く薬をくれ!」
と書いてある人もいます。
耳鳴りに補聴器がいいですよとお話しても、
それはイヤ!という人も結構います。
だからこそ、耳鳴りには認知行動療法が効くわけなんですが。
何かちょっとグチっぽくなってしまいました。
話を変えましょう。
この本、結構、ホントかなということも書いてあります。
ですので、一応今回の一連の記事は
スピリチュアル耳鼻咽喉科のタグを振っています。
ただ、人によってはそういうこともあるかも、
と思わせる記載もあります。
特に、日本語の「からだ言葉」と似た表現のものというのは、
時には考えてみるのもいいかもと思いました。
たとえば・・・
「耳が痛い」という表現があります。
これは実際に耳が痛いという意味以外に、慣用句では、
「指摘されたことが当たっていて聞くのがつらい」
みたいな意味もあります。
診察していろいろ検査しても異常が見つからない場合、
(うまく検査にひかからないという場合もありますが)
慣用句的なココロの状況が身体に表現されている
という場合があるのかもしれません。
「忙しいと目がまわる」という慣用句もあります。
これは相当に相関関係が強いと思います。
これはめまいを経験したことのある人の中には、
結構賛同してもらえる人も多いのではないかと思います。
このあたりの話は、エントリーを変えて、
また別の機会にお話してみようかと思います。