昨日、雨の日と過ごし方という本を紹介しました。
その中で最後に『晴耕雨読』という言葉が出てきました。
この晴耕雨読という言葉、僕の好きな言葉の一つです。
晴れた日は、畑に出て耕し、雨の日は家で読書をする。
実は6年前から僕の家でも小さな畑を借りて、
休みの日を中心に、わずかではありますが野菜を作っています。
(と言っても、今年は、4月に足を怪我したため、
僕は春夏ほとんど役に立たず、
うちの嫁さんが孤軍奮闘頑張ってくれたという現状ではありますが。)
ま、それはともかく、
家庭菜園を始めたことで、
もともと実家からも野菜をもらうこともあって、
普段スーパーで野菜を買うことはめったにありません。
晴れた日で用事がない時は畑に出る。
畑仕事をしている時は、暑いやらしんどいやらで大変ですが、
一仕事終わって、採れたての野菜を嫁さんが料理してくれて、
それを肴にお酒を飲む。
これぞ至福のひとときです。
そして、時間があるけど雨が降っているような日は読書三昧。
これまた、幸せなひとときです。
まあ、本業があるから、
そんな仙人みたいなことを言ってられるのではありますが。
農業を専業とされている方は大変だと思います。
それでも、畑仕事をしたことがない人よりは、
農業の難しさ、つらさも分かるような気がします。
(そして、楽しさも。)
だから『晴耕雨読』という言葉が好きです。
ところで、今年の春の日経新聞のコラムにこんな記事がありました。
(いつのものかは書き留めていなかったのでわかりませんが)
この『晴耕雨読』という言葉、
何となく大昔の中国の書物かなにかが出典かと思ったら、
今ひとつはっきりしないそうです。
そして、この阿辻氏の考察によれば、
印刷の本を大量生産できるようになってからの
言葉ではないかというのです。
確かに、昔は本は貴重でした。
雨の湿気で品質が落ちるのを嫌っていた可能性はあります。
でも、そうしたら、雨の日は何をしていたのでしょうね。
今の時代の様にネットもなければゲームもない。
おそらく農機具の手入れをしたり繕い物をしたり、
あるいは歌ったり、詩を考えたり。
それとも昼間からお酒を飲んでいたか。
そんなことを考えるのもまた楽しいものです。