桜が満開になってきました。
この土日はたまたま重要な催しがなかったので、
(というか、花見のためにわざわざ空けておいたのですが)
さすがに足を痛めギブスとなると外出が億劫になります。
本当は京都辺りまで花見かねがね
写真を撮りに行きたかったのですが、
今年は無理をしないことにしました。
うーん、残念!
まあそんなわけで、結局おとなしく家で読書をしました。
おかげさまでいくつか読みたかった本が読めました。
『食べごしらえ おままごと』 石牟礼道子 著,中公文庫
著者の石牟礼道子さんについては、
実は昨年9月NHKの「100分で名著」で、
『苦海浄土』という作品が取り上げられるまで
全く知りませんでした。
しかし、一度注目するとアンテナが伸びるのか、
そのあとに偶然同級生がfacebookで
『苦海浄土』について話ているのに
目が留まりました。
そこのコメント欄に、
この『食べごしらえ』の随筆がいいよ!
との書き込みもあったのでした。
実はその後『苦海浄土』は買ったのですが、
こちらは量も多いし、話も重そうなのでまだ手をつけずにいました。
そうしたら、先日京都でたまたま入った本屋さんで、
この本に目がとまり、思わず買ってきたのでした。
こちらの方が本も薄いし、とりあえず
『食べごしらえ』の方を読んでみることにしました。
『苦海浄土』が水俣病をもとに書かれた小説なので、
こちらはどんなものかと、
最初は恐る恐るページをめくったのですが、
全く違った、ちょっと昔の庶民の暮らしぶりと
季節をしっかり考慮した料理と
それにまつわる珠玉の思い出が綴られていました。
昔は何か節目の時には、
その季節にあった料理が作られる家も多かったと思います。
節句であったり、お彼岸であったり、
あるいは来客があった時などもそうだったのでしょう。
この本に出てくるような
手のこんだ料理ではありませんでしたが、
小さな頃、僕の家でも母親が何かしらこしらえてくれました。
ちょうど今頃、4月1日は鎮守のお宮さんのお祭りで、
お餅を作ってくれました。
(そのことは、以前のブログでも書きました。)
その他、お彼岸にぼたもちをよく作ってくれたっけ。
あと、五目飯も比較的ハレの日の料理でした。
どういう日に作ってもらったのかは忘れてしまいましたが。
(誕生日だったかもしれません)
今でも季節の節目やハレの日に、
何かしら手の込んだ料理を作るという家庭が
ないわけではないでしょうが、
今は旬の食材を集めることすら難しくなってきていますし、
生活が複雑になり余裕もなくなって、
どんどんと失われてきています。
核家族化も伝統の消失に一役買っています。
巻末で作家の池澤夏樹氏がこの本の解説をされていますが、
その中で、池澤氏は自分の経験したうまいものと、
この本にあるおいしいものの共通点を、
”お皿の向こうに人間の顔が見えているのだ。それを作った人の手の動きが見え、そのすぐ先に畑が見え、そこを耕して種を蒔く人の姿まで見える。それに魚が湧いて出る気前のいい海や、庭先を走り回っている鶏たち。”
とあぶりだしています。
そして、それらは、
”そういうものぜんたいが、「今は失われた」というベールをかぶっている。”
と。(p.166)
まさに、この本から感じるのは、
料理自体の美味しそうなイメージばかりではなく、
このノスタルジックな人々の生活の雰囲気です。
それも、水俣や天草の言葉で書かれていて
すごくいきいきとしています。