本:動的平衡、動的平衡2

今年は今のところいいペースで本が読めています。

『動的平衡』『動的平衡2』 福岡伸一 木楽舎

動的平衡の1は、以前に読んだことがあったのですが、
結構忘れていたので、再度読み返し。
2の方は、買ったままで放置していたので、
1を読み終えた勢いを利用して、一気に読みました。

生命というものを考えた場合、
普通の感覚だと、個々の身体と言うのは、
時間経過で老化はしていくものの、
一つの個体がずーっと継続されている様に思われる。

しかし、実際には、食べたものが吸収され、
身体の隅々まで到達して、現存のものと置き換わる。
一つ一つの器官-心臓も、肺も、
胃も、肝臓も、腎臓も、皮膚も、
もっと言えば硬い骨でさえも、
あるいは一度出来たら一生分裂・再生しないと言われている
神経細胞(最近は再生するという話もありますが)でさえも、
分子レベルでは、そんどん入れ替わっているのだそうだ。

だから、数ヶ月もしたら、自分の身体は、
その数ヶ月間に食べたもので完全に置き換わっているのだとか。

つまり、「環境は常に私たちの身体の中を通り抜けている。
そこにあるものは流れそのものしかなく、
私たちの身体は変わりつつ、
かろうじて一定の状態を保っているのだ。」と。

そうして、一定の状態(動的平衡)を保つことで、
「可変的でありながらサスティナブル(永続的)なシステム」を
維持しているのだという。

なぜそんな複雑なことをしているかといえば、
その方が恒常性を維持するのに有利だからだということなんだろう。
一輪車でうまく立とうとするには、
前後にわずかに動きながらバランスをとる必要があるようなもの。

生命というものを考えた場合、
それは心臓や、血管、胃、肺、脳・・・
これらのパーツの寄せ集めではない。

つまり、「生命というシステムは、構成成分に依存しているのではなく、
その流れがもたらす「効果」である。
生命現象は構造ではなく「効果」なのだ。」
(『動的平衡』p.226-233あたりから抜粋)

この本の表紙には、
「なぜ、生命はそこに宿るのか」
と書いてあります。

それは、生命が「時間」というものとの折り合いをつけて
共存するために生み出した方法なのだと筆者は考えます。

一つの生命が永遠を生きることができない以上、
変化しつつ、最終的には次世代に託するという形をとることで、
生命は時間と共存してきたということらしい。

確かに、この話を読んで「なるほど!」と思いました。
と、同時に、
では、その生命を維持させようとする力、
というか、そのエネルギーはどこから来るのか
という思いがわき上がってきます。

つまり、生命が動的平衡というシステムを動かして、
個体を生かそうとする動機、
最終的には自らは滅びても、
子孫という形で生き延びようとする動機、
そのエネルギーはどこから生まれるのでしょうか?