学会に行った時に、
ちょっと面白そうな本が目についたので買って読んでみました。
『ナニコレ?痛み×構造構成主義: 痛みの原理と治療を哲学の力で解き明かす』
阿部泰之 著,南江堂
日常診療をしていると、
心因性もしくは心身症傾向があるんじゃないかな
という患者さんを、時に診る場合があります。
・・・というか、最近何となく
そういう患者さんがどんどん増えているような
気がします。
社会が複雑になり、
人間関係で悩む人が増えたせいなのか、
それとも、
僕がそんな目で患者さんを見るくせがついている
からなのか、本当のところはわかりませんが。
特に、耳鳴り、めまい、低音障害型感音難聴、
原因のはっきりしない耳痛、副鼻腔炎のない後鼻漏、等々。
中でも耳鳴りは、心因が大きく関与することも多いですし、
あるいは、ココロというより物事の認知の仕方が問題の場合もあります。
こうした症状は、本来医師は扱うのが苦手な場合が多いのです。
それは、医学・医療がデカルトの心身二元論以来、
身体と心を分けて考えることで進歩してきたこともあり、
医学生は心身の「身」すなわち身体を中心に教育を受け、
医師になってからも、
まずは身体を中心に医療を行うようにトレーニングを受けます。
それは、やはり、病気の見逃し=患者さんに不利益がでないためで、
まず最低限の必要条件だからです。
しかし、それだけでは医療がうまくいかないことも多々あります。
そこで心身の「心」についても本来は取り組まなければならないのですが、
人の心の問題を取り扱うには、詳細な問診が必要であったり、
患者さんの内面にまでアクセスする必要があったりします。
そうした場合患者さんの側でも、
問題点というのは不快な感情を伴うものですから、
意識的・無意識的にかかわらず防御機構も働くので、
なかなかうまく進まないこともあり、
時間のかかる気の重い作業となりがちです。
また、心の問題を取り扱うためには、
それ相応の方法論を学んだり、実践的なトレーニングを積むことが
本当は必要だと思いますが、そうしたカリキュラムは、
学生向けに少しあるくらいで、
実際には、心療内科や精神神経科を除いた一般医師向けには、
ほとんどないのではないかと思います。
(僕が知らないだけならいいのですが)
さらに、いったん医師になってしまうと、
日常診療に追われて、
そうしたカリキュラムを受ける時間もなければ、
日常診療(特に外来など)で、
一人の人にそんなに長い時間をかける余裕がないのが実情です。
ただ、全くそういう研修ができないかと言えば、
それは上司次第かもしれません。
研修医の頃でした。
病棟に患者さんが入院されますと、
回診の時にどういう患者さんが入院されたかを
主任教授にプレゼンをしなければなりません。
その時、アナムネ(主訴、現病歴、既往歴、家族歴などなど)が
いい加減だと教授は決まって、
「あとで!」と一言。
(患者さんの前では怒りません。)
この「あとで!」が怖いんです。
あとで教授の前に行くと、
「君はちゃんと患者さんを診ているのか!」
「雇われマダムじゃあるまいし!」
と怒られます。そして、
「患者さんを親戚の人だと思って話を聞きなさい!」
と指導されたものでした。
話がどんどんそれてしまいました。
続きは明日。