『そばと私』 季刊「新そば」編 文春文庫
昭和35年創刊の季刊誌「新そば」から有名人が
寄稿した67編のそばにまつわる
エッセイが並んでいます。
赤塚不二夫、淡谷のり子、永六輔、大岡昇平、
大野 晋、桂米朝、北島三郎、北 杜夫、
衣笠祥雄、児玉 清、ジェームズ三木、菅原文太、
立川談志、丹波哲郎、梨本 勝、福井謙一、
水上 勉、三波春夫、椋 鳩十、桃井かおり、
森村誠一、山川静夫、養老孟司、淀川長治、
若尾文子・・・
僕でも名前のよく知っている人のエッセイ集です。
でも、半分はすでに亡くなられた方なんですけどね。
(椋 鳩十氏などは、もっと昔の人かと思ってました。)
ま、それはそれで、懐かしいわけで。
とりあえず、僕も先人に習って、そばについて書いてみることにしました。
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蕎麦について話をしようと考えたとき、
一番古い記憶は何かな?と記憶をたどってみると、
中学生の時に家族旅行で、信濃大町に着いたときに、
駅のホームで食べた立ち食いそばに至りました。
このころちょうど父親は単身赴任で富山の井波町に来ていました。
そこで、夏休みに父親の住んでいるところを見学したのち、
黒部立山アルペンルートを旅行したのでした。
その時のそばは、汁の色が真っ黒。
関西の人ならわかるかもしれませんね。
普段食べるかけ蕎麦の色は薄い醤油の色。
それがすごく濃い醤油の色でびっくりしたのを覚えています。
でも、そう考えると、
蕎麦という食べ物はもっと前から食べていたはずですね。
もう少し記憶をたどってみました。
おそらく、普段でも家で晩の献立の一つとして、
我が家のちゃぶ台にもおそばが登場していたのだろうと思います。
そして、もう少し考えてみました。
そういえば、
大晦日、今はどうかわかりませんが、当時、
うちの実家のあたりでは、
夜鳴きそばがどこからともなくやって来ていました。
大晦日といえば、うちの家では一家総動員で大掃除です。
それまでにやっておけばいいのですが、
結局毎年、ギリギリの大晦日になって大掃除をするというのが
うちの家の年中行事の締めくくりでした。
大掃除はいつも盆前と大晦日。
半年分の汚れを落とします。
結局、仕事が終わるのは紅白歌合戦が始まるころ。
母親もなんやらかやら仕事をしていますので、
なかなか晩ご飯の用意までできません。
すると、僕に言います。
「おそば屋さん来たし、年越し蕎麦、買っておいで!」
そうして、紅白歌合戦を見ながら年越し蕎麦を食べる。
毎年というわけにはいきませんでしたが、
そういう大晦日の過ごし方を子どもの頃にしていたのを思い出しました。
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その他、蕎麦といえば立ち食い蕎麦。
今でも駅のホームなどに立ち食い蕎麦のコーナーがある駅がありますね。
昔は米原駅でよく立ち食い蕎麦を電車の待ち時間に食べたものです。
ちょっと、調子にのって明日も蕎麦の話をすることにします。