うちのベランダのチューリップもほとんど終了です。
今回もまた、日経の夕刊のコラムから。
2016年4月22日 コラムニストは詩人の佐々木幹郎さん。
僕も4/11に「チューリップと俯瞰力」という題でブログを書きました。
同じチューリップからでもこんなに話の内容が違うんだな、
というか日経のコラムと比べること自体が、まず間違ってますが。
チューリップって愛らしくて綺麗だし好きなのですが、
何が、どう好きなのかがよく分からず、
僕の場合、チューリップは枕にするだけで、
結局全く違う話で、
それもなにやらちょっと説教臭い話になってしまいました。
ま、一応医療系のブログの末席ということでお許しいただきたい。
改めて、このコラムを読んでみると、
「チューリップのどういうところが好きか」というところが、
きちんと書かれていますね。
花をよく観察し、自分の言葉で書かれているところは、
やっぱり言葉を天職として仕事をされている人なんだなぁと、
ブログを書きだしてみてよくわかります。
また、先日facebookで知り合いの人が、
チューリップを眺めていて、
朝方の風が冷たい時にチューリップが寄り添っている姿を
「青空願って皆でちゅうしてる」
と表現されているのが印象的でした。
この方も「言葉」を大切にされていて、語りをお仕事にされています。
俯瞰力も大切ですが、
一つのもの、一つのことをじっと観察して、
自分の言葉で表現するというのも大切なことですね。
近年、デジカメのおかげで、
フイルムを気にせず写真を撮ることができるようになり、
僕も日常の中でも気軽に写真を撮って楽しんでいます。
街中を歩くときも、ふっと心が動いた場面で、
さっとカメラを取り出してシャッターをきります。
それはそれで、瞬間をきりとることで面白い味がでてくるのですが、
なかなか、何故そこで心が動いたのかまで観察せずに、
次の目標を探している自分がいます。
そうすると、どうしても表面的な表現になってしまいます。
まあ、熱しやすくて冷めやすい僕の性格そのものですが。
心に感じたことを自分の言葉で表現すること。
そうしたことを意識して生活すると、
もっと生活が楽しくなりそうです。