以前、何回か語源について話を書きました。
学問的に正しいかどうか・・・まあ、当たってないと思いますが、
語源を考えるのって、結構楽しいです。
何か、腑に落ちる感じがしたときはヤッター!と思います。
と、そんなわけで、今日は、「ボヤ」。
数日前、嫁さんと話をしていた時、
というか、一方的に嫁さんが話してくれるのですが・・・
知り合いの人が最近facebookに投稿がないので、
どうしたのかなと思っていたら、
自分の住むマンションのお隣でボヤ騒ぎがあって、
自分の家は大丈夫だったらしいのですが、
ススやらなんやらで、掃除が大変だったらしいと。
その時、話を聞きながら僕は、全然別のことを考えていました。
「ボヤ」って日本語?
語源は何なんだろう?
そんなことを考えていたので、
それから先の嫁さんの話は上の空。
まずはネットでググってみますと・・・
不注意=ぼやっとしていること
という説がありますね。
これはこれで面白いと思いますが、
では、「ぼやっと」の語源が何か気になります。
もう一つ有力なのが、
ぼや:かまどなどで火を起こす時に最初に燃やす細い木の枝などのこと
つまり、点火材料としての枝切の火程度の出火
というものですね。
では、どうして、点火用の細枝を「ぼや」というのか?
ここで、いつも参考にしている、
『言葉の起こり 飯野布志夫著作集1』 鳥影社
という本を見てみます。
この内容が信頼できるものなのかどうか、
僕は言語学者ではないので、何ともいえませんが、
読んでいくとなるほどなと思うことが多いのは確かです。
「ぼや⇒ほや」で検索してみます。
「ほ」:もともと古代の言葉では「ふっくらと膨らむ」という意味。
おそらく、息を柔らかく吹きかけた時のイメージなんじゃないかと。
「帆」は風をうけて膨らみます。
稲穂の「穂」は、植物の軸の尖端が膨らんだものです。
そこから、
「ほのお」の「ほ」は、火が燃えだして、
明るい気体が膨らんだ状態だと考えられます。
ひょっとしたら、「ほたる」の「ほ」もそうなのかな?
夜に光が膨らむ様子を示しているのかも。
次に「や」ですが、これは同本には、
「強い力を遠隔地など対外に素早く行使する」という意味があると。
まさに、「矢」は強い力で遠くに力を及ぼすわけです。
「やめる」という言葉は、強権を行使して滞らせるという意味です。
そうすると、「ほや」というのは、
炎の矢ということで、まさに点火材料の細切れにつながります。
ただ、「ほや」というと、
ランプの火を風からまもる外側の筒も「ほや」といいますよね。
(って、今の人は知らないか。)
こちらは、「火屋」=火の屋形という意味かもしれませんね。
まあ、勝手に自分の都合のいいように解釈して楽しんでいます。
「ほや(hoya)」じゃなくて、
そのまま「ぼや(boya)」の可能性ももちろんあるわけで、
そちらもちょっと調べてみました。
「ぼ」には大きく2つの意味はあるようです。
1)全て丸見え=空白空虚という意味
木の枝の葉が全部とれてしまった状態が「棒」という訳です。
2)能力がない
棒の様にすってんてんで、身につける叡智が何もないという意味です。
「ぼっけもん」なんて言葉を聞いたことがありますが、
これは「棒介者」で、役にたたない人ということですね。
人を批難するのに「ボケ!」というのもこれかな?
「ぼーっとする」「ぼやーとする」もこれですね。
ちなみに下僕の「僕」は現在では1人称として用いられる言葉ですが、
古代には、敗北者や地位が下の者が用いる呼称だったそうです。
僕は、自分のことを「俺」とは呼べなくて、いつも「僕」ですが、
これは昔の人からしたら、下の者の呼び方なんですね。
確かに、「僕が!」と言って威張っているのは
小さな子どもくらいしか知りません。
ま、色々と考えてみましたが、
「ほや」説も「ぼや」説もそれなりに当たっているようです。