昨日の、「日本霊学入門」の記事を
昔のブログから引っ張りだそうとした時、
他の記事がひっかってきました。
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『<神道>のこころ』 葉室頼昭著 春秋社、1997
2つ下の記事(←昔のブログでの話)は不動産ブローカーから僧侶へ転身した人の話でしたが、こちらは形成外科医から宮司へと転身された方のお話。
この中で心に留まったお話を一つ。
太陽の光というのは暖かくもなければ明るくもない。宇宙空間は真っ暗であると。地球上では太陽が明るく暖かいのは、太陽の光が空気に反射されるからだと。空気の反射のおかげで光と熱が出てくる。
これは感謝と同じことななのだそうだ。
神さまのお恵みは実はみんな平等にいただいている。でも、ある人は不幸になり、ある人は幸せになる。なぜか?神の波動は感謝しなければお恵みとなってでてこないのだと。
生かされていることに感謝する。そうするといただいている恵みがエネルギーとなって出てくるのだそうだ。ちょうど、太陽の光が反射されないと明るさや暖かさとして感じられないのと同じなのだと。
神社へ行ってお賽銭をあげて願い事をする。これは間違い。お賽銭をあげて入学を祈願する。それは取引なのだと。入学したらありがとうございますと感謝する。これは感謝でもなんでもない。神様には単に生かされていることを感謝するだけでいいのだと。神様と波長を合わしさえすればいいのだと。
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ま、なんかちょっと説教くさくなってしまいましたね。
でも、改めて読むといいお話だと思います。
ただ、そう思ってこの話を昔ブログで書いたはずなのに、
すっかり忘れてしまっていました。
人間の(というか自分の)記憶って、ホント当てになりません。
まあ、そんなわけで、
昨日のブログにも書きましたが、
神社にお参りに行く際には、まずは自分にゆかりのある所、
産土神(うぶすなかみ)様、氏神様、鎮守の神様、一の宮に参拝する。
これが基本だそうです。
というわけで、一昨日建部大社に行ってきました。
普段は参拝道はひっそりとしているのですが、
一昨日は日がよかったのでしょうかね、屋台がたくさん並んでいました。
お参りを済ませて、ちょっと境内をぶらぶらしてみると、
お宮参りをしている家族がいらっしゃいました。
初宮参りでしょうか?
おばあちゃんにだっこされた赤ちゃんと、
それを見守るお母さん、お父さん、おじいさん。
なんか微笑ましい風景で、
日本のこうした風習もいいものだなと思いました。
まあ、これも、
「無事に生まれて1ヶ月を迎えることができました」
という感謝のためのお参りなのでいいですが、
これが、初宮参りを「しなければいけない」という風になると
それはそれで問題ですがね。