僕が再受験した年、昭和56年。
この年は例年にない大雪で、56(ごーろく)豪雪と呼ばれています。
僕の実家は滋賀県の湖北地方で、もともと雪の多い地方ですが、
この年は特別よく雪が降りました。
屋根の雪をためたままにしていますと、
雪の重みで軒先の庇が折れてしまいます。
そのため屋根の雪下ろしをするのですが、
その年は僕の家でも、
うずたかくたまった雪が1階のひさし付近まで積もりました。
降雪量は金沢でも多かったですね。
降り積もった雪を踏みしめて道を歩いていると、
駐車していた車の屋根が足首のあたりにありました。
そんな冬の雪もいくらか融けてきたころいよいよ受験となりました。
前にも書きましたが、その頃には大学生活にもすっかりなじんでいて、
そのまま4年間大学生活をおくることになるだろうなと思っていました。
そんな感じでしたが、せっかく1年間それなりにではありますが、
勉強してきたのだから、受けるだけは受けよう、
そう思って願書を出しました。
そうして臨んだ2回目の共通一次試験。
結果は昨年を上回りはしましたが、医学部受験には微妙なところでした。
まあそれでも、失敗したときの居場所があるのは強いですね。
ダメでも失うものはありません。
2次試験を受けることにしました。
自分の得点でわずかでも可能性があるところはどこか。
2次の試験勉強はほとんどしていませんでした。
理科については生物は、まあなんとかなるけれど、化学はだめです。
それならば、数学と英語だけのところ・・・
さらに、その年の大雪にうんざりしていたところでした。
まあ、受かる可能性はそんなに高くないと思っていましたし、
旅行気分で、どこか暖かい所に行ってみよう。
そんなことを考えて、最終的に選んだのが高知医科大学でした。
「背水の陣」という言葉がありますが、
僕のような人間にはあまり向いていないようです。
失敗した時のことばかりが気になって萎縮してしまうのではないかと思います。
その点、今回の受験は気が楽です。
ダメでも帰る所があるのです。
そうした精神的にリラックスして受験に臨めたことがよかったのでしょう。
「タイヘイヨウデ クジラガツレタ オメデトウ」
大学も春休みに入り、部屋の掃除をしていた僕のもとに、
試験場で申し込んでおいた電報サービスが送られてきたのでした。
頭の中が真っ白。
そんな感覚を味わうのも初めての経験でした。