哲学ノート2 なまんだぶー

Das Mann的な生き方をやめて、死への先駆的覚悟をもって行きなさい。
似たような言葉は色々なところで聞いたことがあります。

うちの実家は田舎ですから、年に何回か親戚の法事があります。
たまに、親の代わりに法事に出たことがありました。
和尚さん(うちのあたりでは、「ごえんさん」と呼びます)が、
お経を読み終えたあと、お説教があります。

ごえんさんのお言葉。
「本日はようお参りになられました。
○○さんも亡くなられて早いもので○年になりますな。
いい人でした。
・・・(途中省略)
私たちも、いつかは亡くなり、阿弥陀如来様のもとに行きます。
しかし、死ぬ間際になって、
『ああ、あれをしておけばよかった。』
『これもしておけばよかった。』
などと考えて、現世に念を残しては、極楽浄土に行けません。
日々、やるべきことを考えて、お勤めなされますように、
あなかしこ~あなかしこ~。」

それを聞いて、近くに座っていたお婆さんが、
「なまんだぶ~!なまんだぶ~!」
と声高らかに唱えられていました。

僕が中学生くらいまでは、まわりに
こういう信心深いお婆さんがたくさんいました。

「南無阿弥陀仏」を唱えることで、極楽浄土に行ける!
浄土真宗の根幹は、もっと崇高なところにあるいのかもしれませんが、
大衆的にはそんなところで、それどころか、
現在では単なる葬式・法事のための仏教になってしまっている
場合が多いように思います。

ま、それでも、このお婆さんの様に、
「なまんだぶ~!」
と心から唱えていた人は、心安らかにいられたのかもしれません。

しかし、現代を生きる我々はそうは行きません。
仏教とキリスト教の違いはあるにせよ、
ハイデッガーの”神”に対する考え方は、
「古い神々はすでになく、新しい神はまだ現れていない」
という立場をとっていたそうです。
現代は「神の不在の時代」だと。

だから、死んだ後のことを考えるのではなく、
いつくるかは分からないが、いつかは必ずやってくる
死というものをしっかり見つめて、
日常に埋没することなく、
本来あるべき姿を描いて日々努力しよう!

ハイデッガーの教えは、
当時の若かった僕にはとても生き生きとした思想に思われました。
僕の中では今でも、
自分の中の一つの基本精神であると思います。

↑なんてね、かっこいいこと書きましたがその後があるんです。
それは、また次回に。